『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』考察・感想|30年越しに描かれた“パーク1の結末”

映画感想

映画情報

  • 原題:Jurassic World: Dominion
  • 邦題:ジュラシック・ワールド/新たなる支配者
  • 公開年:2022年
  • 上映時間:147分
  • 監督:コリン・トレヴォロウ
  • 製作総指揮:スティーヴン・スピルバーグ
  • ジャンル:SF/アドベンチャー/パニック
  • シリーズ位置づけ:
    • ジュラシック・パークシリーズ第6作
    • ジュラシック・ワールドシリーズ第3作
    • シリーズ全体の最終章

本作は1993年の『ジュラシック・パーク』から約30年にわたって続いてきたシリーズの締めくくりとなる作品です。単なる続編ではなく、「パーク」と「ワールド」両シリーズを完全に統合し、世代を超えた完結編として制作されました。

主要キャスト(レジェンド×ワールド)

レジェンド組(ジュラシック・パーク)

  • アラン・グラント博士(サム・ニール)
  • エリー・サトラー博士(ローラ・ダーン)
  • イアン・マルコム博士(ジェフ・ゴールドブラム)

ワールド組(ジュラシック・ワールド)

  • オーウェン・グレイディ(クリス・プラット)
  • クレア・ディアリング(ブライス・ダラス・ハワード)
  • ヘンリー・ウー博士(B・D・ウォン)
  • メイジー・ロックウッド(イザベラ・サーモン)

この“オールキャスト感”こそが、本作最大の魅力の一つです。単なるファンサービスではなく、それぞれがシリーズ内で背負ってきた因縁やテーマを回収する役割を持っています。

あらすじ

前作『ジュラシック・ワールド/炎の王国』のラストで、恐竜たちは世界中へ解き放たれました。
本作の舞台は、それから4年後。恐竜はもはや島の中の存在ではなく、都市、森林、海、空——人類の生活圏そのものに入り込んでいます。ニュースでは恐竜による事故が報道され、闇市場では恐竜の密売や違法取引が横行。「人類が支配してきた世界」は、静かに、しかし確実に揺らぎ始めています。

オーウェンとクレアは、人里離れた場所でひっそりと暮らしていました。彼らが守っているのは、人間のクローンである少女・メイジー。メイジーの存在は、恐竜以上に“世界の秩序”を壊しかねないものです。彼女は単なるクローンではなく、遺伝子操作によって生まれた特別な存在でした。そんな中、メイジーとブルーの子どもであるベータが誘拐されてしまいます。オーウェンとクレアは、二人を救うため行動を開始します。

物語の裏で暗躍するのが、巨大遺伝子企業バイオシン社。CEOは、ジュラシック・パーク1作目の因縁の人物、ルイス・ドジスン。バイオシンは恐竜保護を名目に、イタリア・ドロミテに巨大な恐竜保護区「バイオシン・バレー」を築いていました。しかしその実態は、恐竜の管理して遺伝子操作で生態系のコントロールし、すべてを自社の利益と支配のために利用していた、極めて危険な企業でした。

一方その頃、エリー・サトラー博士は、世界各地で発生している巨大イナゴ被害に違和感を覚えます。特定の農作物だけが被害を免れていることから、彼女はそれが遺伝子操作された生物災害であると確信。エリーはかつての仲間、アラン・グラント博士、そして現在バイオシン社に雇われているイアン・マルコム博士と再び合流します。マルコム博士は内部からドジスンの不正を探る“内部告発者”の立場にありました。誘拐されたメイジーとベータは、バイオシン・バレーへ連れて行かれていたことが判明。

オーウェンとクレア、レジェンド組、それぞれの目的が、恐竜・遺伝子・人類の未来という一点で交差していきます。そして物語は、人類が「支配者」でいられるのか、それとも「共存」を選ぶのかという、シリーズ全体を貫くテーマへと収束していきます。

オールキャストは“お祭り”ではなく「回収装置」

本作のオールキャスト感は、単なるファンサービスではありません。レジェンド組とワールド組は、それぞれシリーズ内で未回収だったテーマを背負って再登場しています。

  • レジェンド組:
    ジュラシック・パーク1作目で生まれた倫理的負債の回収
  • ワールド組:
    人間が“神の領域”に踏み込んだ結果の後始末

つまり本作は、「過去に蒔いた種が、30年後にどんな形で芽吹いたのか」を描くための最終章でした。

人間ドラマに比重が置かれた理由

「恐竜映画なのに、人間の話が多い」という感想は確かに正しいです。ただしそれは失敗ではなく、意図的な構造だと感じます。

恐竜は本来、人間の欲望によって作られ、管理され、そして制御不能になった存在でした。今作では恐竜そのものが“敵”なのではなく、恐竜を利用し続ける人間社会そのものが問題として描かれています。

だからこそ、派手な殺戮やグロテスクな恐怖は抑えられ、代わりに企業倫理・科学の暴走・共存という幻想といった、現実世界と地続きのテーマが前面に出てきたのです。

ドジスンという「シリーズ最大の元凶」

ドジスンは、シリーズを通して見ると極めて重要な存在です。彼は直接恐竜を作ったわけでも、島を崩壊させたわけでもありません。しかし彼が行ったのは、「科学を金で買う」という最悪の行為

ネドリーに産業スパイを命じ、結果としてジュラシック・パークが崩壊し、多数の死者を出した上に、結果的に恐竜流出にもつながりました。すべての発端を作った人物です。

本作でドジスンが、ディロフォサウルスに痛い目に合い、バーバソル缶が登場し、追い詰められて逃げ場を失う構図、というネドリーと完全に同型の死を迎えるのは、因果応報であり、シリーズ的にも非常に美しい構成でした。

バーバソル缶が象徴するもの

バーバソル缶は、単なる伏線回収アイテムではありません。

あれは、金のために倫理を売った結果、軽視された小さな選択が、取り返しのつかない未来を生む、というシリーズ全体のメッセージを象徴しているように思います。30年間、「あの缶はどこへ行ったのか」と語られ続けてきた理由は、それが物語の核心そのものだったからです。

レジェンド組の役割分担が完璧

三人はそれぞれ、シリーズの異なる問いを背負っています。

アラン・グラント博士

  • 恐竜を「研究対象」として愛し続けた人
  • 人類中心主義に最も距離を置いてきた存在

彼は最後まで、恐竜を支配しようとはしません。

エリー・サトラー博士

  • 環境と倫理の視点を担う存在
  • 本作では現代的な問題提起役

イナゴ問題は、気候変動や遺伝子作物への不安と完全にリンクしています。

イアン・マルコム博士

  • シリーズを通して一貫した警告役
  • 「人間は制御できないものを制御したがる」という思想

彼がバイオシン社に“雇われている”という設定は、皮肉であり、同時に彼らしい選択でした。

ワールド組が背負った「後始末」

ワールドシリーズは、「もし現代の資本主義社会で恐竜が作られたら?」という実験でした。テーマパーク化と、それを取り巻く投資、マーケティングでブランド化する。すべてが現実的で、だからこそ破綻も現実的でした。オーウェンとクレアは、“作った側の人間”として最後まで責任を取る立場に置かれます。

メイジー=恐竜より危険な存在

本作で最も重要なのは、実は恐竜ではなくメイジーです。彼女は、人間のクローンであり、しかも遺伝子改変によって生まれた存在。つまり「恐竜技術が人間に適用された未来」そのもの。

彼女をどう扱うかという問題は、恐竜との共存よりもはるかに深刻で、本作が“人間ドラマ寄り”になった最大の理由でもあります。

「恐竜との共存」は成立するのか

ラストで描かれる、小型恐竜と子どものシーンや、陸・空・海での共存について、正直に言えば理想図です。現実的に考えれば、モササウルスやプテラノドンとの完全な共存は難しいでしょう。しかし本作は、「完璧な答え」ではなく「これ以上争わない選択肢」を提示したのだと思います。

吹替えキャスト考察|レジェンド組の「安心感」

今回も吹替えで鑑賞しましたが、結論から言うとレジェンド組が完璧でした。
とくにシリーズファンにとって、声はキャラクターの人格そのものです。

マルコム博士=大塚芳忠という奇跡

イアン・マルコム博士の、軽薄そうで、皮肉屋で、でも知性が滲み出る…あの独特の空気感は、大塚芳忠さんでなければ成立しません。思想の鋭さとユーモア、警鐘を鳴らす学者としての重み。
「危険だと言っただろう?」を30年間言い続けてきた男の説得力が、声だけで成立しています。

サラ(エリー)博士=井上喜久子の大人の色気

井上喜久子さんというと、柔らかく優しい役柄を思い浮かべがちですが、
本作では知性と芯の強さを併せ持つ女性科学者としての魅力が前面に出ていました。
イナゴを前にした冷静さと、怒りを秘めた語り口が非常に印象的です。

グラント博士=菅生隆之の説得力

予告編で「少しおじいちゃん声では?」と感じたのは正直なところですが、本編では全く違和感なし。
恐竜と向き合い続けてきた年月が、声の重みとして自然に伝わってきました。

高山みなみの存在感

「あれ?今の声…?」とすぐ分かる存在感。
普段あまり聞かないタイプの役で、シリーズに新しい風を入れてくれた印象です。

推し語り|マルコム博士は最後までマルコム博士

ここからは完全に個人的感情です。

マルコム博士、最高でした。

バイオシン社に雇われているけれど、心は一切売っていない。内部から崩そうとする一枚上手の存在。しかも楽しそうなのがポイント高い。この立ち位置が、どこまでもマルコム博士。

シリーズ1作目では、理論的には正しくても、現場では足を怪我し、恐竜を止められなかった彼。今作では、無線案内役として相変わらず少し不器用ながら、ちゃんと“成功”する。

30年越しの小さな成長が、ファンとしてはたまらないポイントでした。

疑問点を本気で考えてみる

なぜクレアはケイラに話しかけたのか?

これは脚本上の都合もありますが、クレアの人物像として考えると、

  • 闇市場という異常空間
  • そこで唯一「仕事として恐竜を扱っている」人間

を直感的に見抜いた結果だと思います。
彼女は元テーマパーク運営側。“恐竜ビジネスの匂い”に敏感なのです。

モササウルス、プテラノドンと共存できるのか?

現実的にはかなり厳しいと思います。とくにモササウルスは、生態系ピラミッドの頂点を破壊しかねません。ただし本作は、「完全な管理」ではなく「隔離と共存の折衷案」を選んだと考えると納得できます。

プテラノドンは大型肉食恐竜ではない問題

分類的には恐竜ですらありません。
そのため、

  • 大型肉食恐竜=隔離
  • 飛行生物=管理区域

という、かなりざっくりした線引きが行われたと解釈しています。

オマージュシーン完全整理

① サングラスを外すサラ博士

→ パーク1で恐竜を初めて見た“畏怖の瞬間”の再演
今回は恐竜ではなく「人間が作り出した災厄」を見る場面なのが重要。

② マルコム博士の火炎投擲

→ 混沌理論の象徴
「秩序は一瞬で崩れる」という彼の思想そのもの。

③ 円形噴水とTレックス

→ 歴代ロゴへの視覚的オマージュ
シリーズの“顔”を最後にもう一度提示。

④ バーバソル缶の回収

→ 30年間未回収だった倫理的負債
見つかった瞬間、物語は“終われる”状態になった。

⑤ ネドリーと同じ死を迎えるドジスン

→ 因果応報
ジュラシックシリーズで最も美しい復讐劇。

⑥ 無線指示シーン

→ パーク1の失敗を、今回は成功させる
マルコム博士の30年越しのリベンジ。

⑦ パラシュートと木

→ パーク3へのオマージュ
人間の軽率さが招く事故の象徴。

シリーズ全体を振り返った感想

ジュラシックシリーズは、恐竜映画でありながら、一貫して人間の傲慢さを描いてきました。

  • 作れるから作る
  • 儲かるから使う
  • 管理できると信じる

その結果、毎回破滅が訪れる。

本作が提示した「共存」は、決して理想的なハッピーエンドではありません。それでも、これ以上支配しないという選択としては、最も現実的だったと思います。

『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』は、派手さではシリーズ最高ではありません。しかし、最も誠実にシリーズと向き合った最終章であることは間違いありません。すべてを説明しない、すべてを管理しない、それでも物語を終わらせる。30年続いた「恐竜という夢」は、ここで静かに、しかし確かに幕を下ろしました。

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