― 原点回帰と新章のはじまり、そして「人間」というテーマ ―
本記事は日本最速上映ファンイベント参加、劇場鑑賞(4DX/吹替)を踏まえた体験レビュー+考察記事です。※一部ネタバレを含みます。
基本情報
『ジュラシック・ワールド/復活の大地』は、ジュラシックシリーズ新章のスタートとなる作品。日本公開は2025年8月8日。監督はギャレス・エドワーズ、脚本は『ジュラシック・パーク』『ロスト・ワールド』を手掛けたデヴィッド・コープが担当しています。シリーズ初期に関わった脚本家が戻ってきた時点で、「原点回帰」への意志がかなり強い布陣だと感じました。物語の時間軸は『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』以降の世界で、恐竜が世界に広がった後の社会を前提にした、新たなフェーズの物語です。
新章としての立ち位置と制作陣が示す「原点回帰」
この作品を一言で言うと、恐竜映画というより「人間の物語」です。もちろん恐竜は出てきます。暴れます。追いかけてきます。食べます。ただ、中心にあるのは「人間は生命をどこまで利用していいのか」という問いです。ジュラシックシリーズが一貫して描いてきた、科学の暴走・資本主義・支配欲が、今作では医療・製薬・市場独占・倫理といった“現代の地続きのテーマ”として、よりストレートに出てきます。
あらすじ(※ネタバレあり)
恐竜が「世界」から姿を消した後の世界
物語は『新たなる支配者』の後。かつて世界中に拡散した恐竜たちは環境変化や人間社会との衝突などの影響で数を大きく減らし、現在は赤道付近の限られた地域にのみ生き残っている状態になっています。ここがまず、シリーズとして大きな転換点。恐竜が“日常化”してしまう世界を一度畳んで、再び「未知の脅威」としての恐竜に戻してきた印象でした。
DNA採取ミッションと製薬会社の思惑
赤道付近の危険区域にいる恐竜のDNAが、人間の重い心臓疾患の治療に繋がる可能性を持つことが判明し、製薬企業主導の調査ミッションが計画されます。主人公たちは、陸・海・空それぞれの頂点捕食者クラスの恐竜からDNAサンプルを採取するため、危険区域へ向かうことになります。
恐竜との遭遇と、人間側の裏切り
しかしこの計画の裏には、医療目的だけでなく、特許独占や市場支配を狙う企業側の思惑も存在します。調査が進むにつれ、自然環境に適応して生き残った恐竜たちの生態系としての脅威だけでなく、人間が作り出したキメラ恐竜の存在も見えてきます。恐竜との遭遇は当然として、同時に“人間の欲望”がトラブルを増幅させていく構造が強いです。
ミッションの結末と残された倫理的問題
主人公側はDNAサンプルの確保に辿り着く一方で、その技術が今後どう使われるのかという倫理的問題が残ります。恐竜という存在が再び「人間が制御できない自然の象徴」であることを示しつつ、新たな三部作へ繋がる形で幕を閉じます。

日本最速上映ファンイベント参加【体験レポ】
イベントの雰囲気と登壇者
令和7年7月23日『ジュラシック・ワールド/復活の大地』の日本最速上映ファンイベントに参加してきました。


監督・脚本家・吹替キャスト登壇の豪華さ
イベントでは、ギャレス・エドワーズ監督と脚本家デヴィッド・コープさんの撮影タイムがあり、しっかり写真も撮れました。日本語吹替版キャストの松本若菜さん、吉川愛さん、楠大典さんも登壇していて、かなり豪華なイベントでした。…ん〜、たいてむ。


公開後すぐ劇場へ|4DXで「ジュラワの世界」体験
4DXはもはや映画ではなくアトラクション
令和7年8月8日の公開後、すぐ劇場にも観に行きました。今回は4DXで体験。正直、満足感はかなり高かったです。映画というより、もはやアトラクション。「私シートベルトしてないけど大丈夫!?」って何度も思うくらい揺れました。
揺れ・水・スピード感が生む没入体験
4DXではジュラワの世界を文字通り“体感”できて本当に楽しかった。恐竜映画の“体験型”としての強さが、今作はかなり前に出ていると思います。
今作の世界観設定について思ったこと
恐竜が赤道付近にしか生き残っていない理由
肝心の作品設定ですが、全世界に解き放たれていた恐竜たちがほとんど死滅し、かつての環境に近い赤道付近にだけ生き残っているという世界観になっていました。恐竜が“どこにでもいる”状態を畳むことで、恐怖の濃度が上がるので、映画の展開を考えるとこの設定には納得でした。
「解き放たれた恐竜時代」はもう終わったのか?
一方で、正直「あの解き放たれていた期間どうなったの?もう終息したの?」という気持ちはありました。そこをもっと見たかった自分もいます。
世界観を狭めたことで生まれた緊張感
舞台を絞ることで「未知の領域に入っていく」怖さが戻ってきていたのは確かです。もともとジュラシック・パークシリーズは島という未知の自然に囲まれた閉鎖空間が舞台でした。なので、ジュラシックのホラー文法に寄せ直した意図はかなり感じました。
原点愛がすごい|シリーズオマージュを振り返る
発煙筒シーンはマルコム博士への明確なオマージュ
発煙筒で誘導するシーンも良かったです。1作目でTレックスを引きつけたマルコム博士を思い出します。4作目のクレアも同様のシーンがありましたが、今回の「子どもを守るため」という構図も含めて、完全にマルコム博士オマージュだと思いました。人間が自然を一瞬だけコントロールできた気になる瞬間を作り、でもそれは長続きしない…というシリーズの哲学が出ていると思います。
DNA持ち出しとネドリー
DNAを持ち出す製薬会社側の人物が車で港へ向かう流れも、1作目のネドリーを思い出しました。自分とブツを繋いだ時点で「こうなるよね」と分かってはいたけど、本当にその通りになったのは笑いました。
閉じ込められる子どもとTレックスの恐怖演出
子どもが乗り物に閉じ込められてTレックスに襲われるシーンは、1作目の車の天井シーンともリンクしていましたし、そのオマージュである4作目のジャイロボールも思い出しました。今回はゴムボート版という感じで、“閉じ込め→迫る→どうする”の王道恐怖をしっかりやってくるのが良かったです。
グラント博士の名前が出てきた意味
グラント博士の名前が出てきたのは嬉しかったです。つまりヘンリー博士はグラント博士の弟子ということですね。恐竜オタク系の博士って、このシリーズにおいてすごく重要な存在だと思います。平和の象徴であるブラキオサウルスの登場はなかったですが、大型草食恐竜登場シーンでお馴染みのメインテーマが流れた時は、グラント博士の「生きている恐竜」に感動する姿と重なりました。

恐竜描写の変化と生態表現のリアルさ
スピノサウルスの群れ行動が示す「生き物感」
まさかのスピノ大暴れは最高でした。花形恐竜に追いかけ回されるのはテンションが上がります。その上で、スピノサウルスが群れで活動していたり、モササウルスの狩りを手伝っていたり、恐竜の生態がかなりリアルに感じられたのはすごく良かったです。

ラプトルの立ち位置が変わった理由
これまで最強格だったラプトルが翼竜にあっさりやられるのはちょっと悲しかったです。でも、生態系として考えると、それはむしろリアルなのかもしれません。これまでは人気も相まって最恐キャラでしたが、現実的な生物として立ち位置が戻った感じがしました。
翼竜・モササウルスが生む環境的恐怖
翼竜の巣探索もワクワクしました。空の支配者の怖さというのは、逃げ場がなくなる感覚に強くあるように思います。海の方も「見えない恐怖」が効いていて、環境そのものが脅威になるジュラシックの良さがありました。
キメラ恐竜という存在への違和感と意味
Dレックスは完全にヴェノムだった問題
今回の舞台はこれまでとは別の島ですが、キメラ恐竜が多い点は、正直少し受け入れにくさもありました。Dレックスは完全にヴェノムで、最後まで恐竜に見えませんでした。
双頭個体が示す「人間のやりすぎ感」
キメラで双頭個体まで出てきたのは、かなりやりたい放題だなと思いました。ですが、冷静に考えれば、このシーンはこんな恐竜がいてすごいでしょという“恐竜そのもの”より、こんなものまで作っちゃいましたという“人間がやりすぎた結果”としての怖さを前に出しているのだなと思いました。。
純粋な恐竜映画を求める人への注意点
純粋に恐竜を観たい人は驚くかもしれません。逆に、人間テーマ(倫理・支配・改造)込みで楽しめる人には刺さると思います。
この作品が描いていたのは「恐竜」より「人間」
ジュラシックシリーズに必ず存在する「2つの人間」
ジュラシックシリーズには、ほぼ必ず対になる人間像が存在しています。それが「恐竜を利用する側」と「恐竜を理解しようとする側」です。
恐竜を利用する側は、恐竜を資源として見る立場です。軍事利用、ビジネス利用、医療利用など、形は違っても共通しているのは「人間社会の利益のために生命を使う」という発想です。彼らは必ずしも悪人として描かれるわけではなく、「合理的」「現実的」「人類のため」という言葉を持っています。ただし、その合理性が行き過ぎた時、必ず破綻するというのがシリーズ共通の流れです。
一方で、恐竜を理解しようとする側の人間も必ず存在します。彼らは恐竜をコントロールしようとはしません。恐竜を研究し、観察し、尊重しようとします。ジュラシックシリーズにおける博士ポジションは、この役割を担うことが多く、恐竜を「恐怖の対象」ではなく「生き物」として見る視点を提示します。
今作における2つの立場の描かれ方
『復活の大地』でも、この構造は非常に分かりやすく存在しています。製薬企業側の人間は、恐竜DNAを「医療資源」として見ています。そこには確かに人を救う可能性もありますが、同時に市場独占や利益という構造も含まれています。つまり、「善意」と「搾取」が同時に存在しています。
対して、恐竜を理解しようとする側の人間は、恐竜を単なる資源として扱いません。彼らは恐竜を「生態系の一部」として見ています。この視点があることで、作品は単なるパニック映画ではなく、「人間は自然の中でどう振る舞うべきか」というテーマを持つ物語になります。
なぜこの対比がシリーズに必要なのか
この2つの立場が存在することで、ジュラシックシリーズは単純な善悪構造になりません。恐竜を利用する側は、人類の進歩や医療の発展という意味では正しい側面もあります。一方で、理解しようとする側は理想主義的すぎることもあります。この曖昧さこそが、シリーズを単なるエンタメではなく、社会や倫理を映す物語にしています。
「恐竜=自然」という象徴
ジュラシックシリーズにおいて、恐竜は単なる生物ではなく、「人間が完全には制御できない自然」の象徴として描かれています。だからこそ、恐竜を完全に管理しようとする人間は必ず失敗します。そして、その失敗を通して、「人間は自然の一部でしかない」というメッセージが繰り返し提示されます。
今作が新章として機能している理由
『復活の大地』は、この構造をかなり分かりやすい形で再提示しています。恐竜を資源として扱う人間と、恐竜を理解しようとする人間。この対立を軸に置くことで、シリーズの原点テーマを、新しい物語の中でも継続させています。
恐竜への感動より強い人間の私利私欲
脚本が『ロスト・ワールド』と同じということもあって、恐竜への純粋な感動というより、人間の私利私欲に焦点が当たっている空気感はかなり近い印象でした。
心臓病特効薬と市場独占の構造
今回はDNAを使って心臓病の特効薬を作る設定なので、最初は「良いことしてる側?」とも思ったんですが、よく考えたら市場独占になりますよね。善と搾取が紙一重で、そこが今作の“現代っぽさ”でした。
6作目のイナゴ問題との共通点
このあたりは6作目のイナゴ問題とも重なって見えました。生命を“管理して儲ける”構造が、形を変えて繰り返されてる感じがします。
ジュラシックシリーズの進化と本作が「転換点」と言える理由
ジュラシックシリーズは大きく4段階で進んできました。第1段階は「恐竜復活の驚き」。科学はここまでできるのか、人間は神になれるのか、というテーマ。第2段階は「恐竜ビジネス化」。利益のために生命を利用し、管理できると錯覚するフェーズ。第3段階は「恐竜と人間社会の共存」。恐竜が世界に広がり、日常化していく流れ。そして本作は、第4段階、「恐竜=再び自然の脅威」という位置づけです。これはシリーズとしてかなり大きな転換点です。
なぜこの「第4段階」が重要なのか
第4段階は、単に恐竜を危険な存在に戻した、というだけではありません。ここでシリーズは、「恐竜をどう扱うか」という問題から、「人間は自然とどう共存するべきか」という、より根本的なテーマへ戻っています。
第1作目の段階では、恐竜は「復活した奇跡の存在」でした。しかしシリーズが進むにつれて、恐竜は商品になり、兵器になり、そして社会の一部になっていきます。その流れの中で、人間側は次第に「恐竜を管理できる」という錯覚を強めていきました。第4段階では、その錯覚が完全に崩れます。恐竜は再び、人間が完全にはコントロールできない存在として描かれます。これはシリーズの原点に立ち返る流れでありながら、「一度共存しかけたからこそ、より怖い」という新しい恐怖の形でもあります。
4段階の裏にある「人間の立場の変化」
この4段階は、恐竜の扱われ方だけでなく、人間の立ち位置の変化でもあります。
第1段階では、人間は「創造者」でした。
第2段階では、人間は「支配者」になろうとしました。
第3段階では、人間は「共存者」にならざるを得なくなりました。
そして第4段階では、人間は再び「自然の一部」に戻されます。
この流れを見ると、ジュラシックシリーズは一貫して「人間中心主義が崩れていく物語」として読むこともできます。
「恐竜を利用する側」と「恐竜を理解しようとする側」の構造
この4段階の変化の中で、常に存在し続けているのが、「恐竜を利用する側」と「恐竜を理解しようとする側」という人間の対比です。
恐竜を利用する側は、恐竜を資源として見ます。軍事、ビジネス、医療、研究など、形は違っても共通しているのは「人間社会のために生命を使う」という発想です。この立場は必ずしも悪ではありません。むしろ、現実社会に近いのはこちらです。ただし、ジュラシックシリーズでは、この発想が必ずどこかで破綻します。
一方で、恐竜を理解しようとする側の人間は、恐竜をコントロールしようとしません。恐竜を観察し、研究し、生態を尊重しようとします。シリーズにおける博士ポジションは、この視点を象徴する存在です。彼らがいることで、物語は単なるパニックではなく、「人間は自然の中でどう生きるべきか」という問いを持つ物語になります。
本作が「転換点」と言える理由
本作は、この対立構造をかなり分かりやすく前面に出しています。恐竜DNAを医療資源として扱う人間と、恐竜を生態系の一部として見る人間。この対比があることで、物語は「恐竜 vs 人間」ではなく、「人間の価値観 vs 人間の価値観」という構造になります。
そしてその中で、恐竜は「人間の外側にある自然」として存在し続けます。だからこそ、この作品は単なる続編ではなく、「シリーズの思想をもう一度提示する作品」として機能しているのだと思います。
ストーリー構成について正直に思ったこと
生き残る人・食われる人が分かりやすい設計
本作では生き残りそうな人は生き残り、悪役はちゃんと食われます。意外性は少なめで先は読みやすかった印象です。ジュラパ1のアーノルドさんみたいな理不尽な死はなかったと思います。これはこれでスカッとしますが、あの“理不尽さ”が生むリアルな怖さが好きな人には物足りないかもしれません。
大衆向けに寄せた印象について
大衆向けに寄せている感じも少しありました。ただ、王道を外さないからこそ「来るぞ」→「来る」が気持ちよく決まる、っていう強さもあります。
字幕と吹替、どちらがおすすめ?
試写会は字幕、4DXは吹替で観た感想
試写会では字幕、4DXでは吹替で観ました。字幕は恐怖の“間”が強くなるし、吹替は情報量が多い場面でも没入が切れにくい印象です。
楠大典さんは本当にハマり役でした。声の説得力が強く、作品の“熱”を支えてた感じがしました。そして個人的に一番嬉しかったのは高山みなみさん。あんなにクールでかっこいい役はかなり珍しくて、ちょっとウルスラっぽさも感じました。また、ボーイフレンドくん役の子が、吹替だと急にイケメン度上がって見えたの面白かったです。吹替って“見え方”そのものを変えるから侮れないです。
シリーズは三部作へ|今後への期待
スカーレット・ヨハンソン起用の意味
正直、そろそろ主役に俳優をそのまま使う流れやめてもいいんじゃないかなって思います。個人的にはスカーレット・ヨハンソンの吹替を高山みなみさんで観てみたかった、という気持ちもあります。
「新章」としてどこへ向かうのか
このあと三部作として続いていくらしいので、続きを楽しみにしています。スカーレット・ヨハンソンは昔からジュラパに出たいと言っていたと聞いたので、今後どんな方向に進んでいくのかワクワクしています。
総評|『復活の大地』はどんな人におすすめか
原点オマージュの密度が高く、「スピルバーグ監督への敬意」がしっかり伝わる。「来るぞ来るぞ来るぞ・・・→来た~!!!」の気持ちよさも健在。シリーズを追ってきた人ほど楽しいと思います。シリーズファンほど、刺さりそうです。
舞台と前提を絞って“未知の領域”に戻しているため、恐竜映画としての怖さ・興奮がわかりやすくなっています。新章の入口として作られている感もあります。なので、初見の人にも見やすい作品になって
4DXで体験できる満足感が強いし、吹替も刺さりました。だからこそ、次は“純粋に吹替で”もう一回観たい、そんなタイプの作品でした。
おわりに
令和7年7月23日のファンイベントから始まり、公開後の4DX鑑賞まで、個人的にかなり熱量高く楽しめた作品でした。恐竜の迫力だけじゃなく、人間の欲望や倫理の描き方まで含めて「ジュラシックらしさ」が詰まっている新章。続編も含めて、追いかける楽しみが増えた気がします。




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