映画『レオン』考察|ロリコン論争の先にある“疑似親子”の物語

映画感想

映画『レオン』の完全版(ディレクターズカット)を鑑賞しました。あまりにも有名な作品であるがゆえに、「名前は知っている」「有名なシーンは見たことがある」という人も多い作品だと思います。

しかし、改めて通して鑑賞してみると、本作が描いているのは単なるバイオレンスやスリリングな復讐劇ではなく、愛着を知らずに生きてきた二人が、疑似的な親子関係を築くことで人間性を回復していく物語であることがはっきりと伝わってきました。

本記事では、作品データと物語の整理を行ったうえで、レオンとマチルダという二人の心理構造、関係性の意味、そして「なぜこの作品がロリコン映画ではないのか」を、心理学的な視点も交えて考察していきます。

映画『レオン』の作品データ

  • 原題:LEON / Léon: The Professional
  • 公開年:1994年
  • 監督・脚本:リュック・ベッソン
  • 製作国:フランス・アメリカ
  • 上映時間:
    • 劇場公開版:約110分
    • 完全版(ディレクターズカット):約132分

主なキャスト

  • レオン:ジャン・レノ
  • マチルダ:ナタリー・ポートマン
  • スタンスフィールド:ゲイリー・オールドマン

ナタリー・ポートマンにとっては本作が映画デビュー作であり、12歳とは思えない存在感と演技力は、当時から大きな話題となりました。

完全版(ディレクターズカット)について

今回鑑賞した完全版は、劇場公開版より約22分長く編集されています。
追加されているシーンの多くは、レオンとマチルダの共同生活や感情の交流をより丁寧に描写するもので、二人の関係性を理解するうえで重要な補足となっています。

一方で、この追加シーンがあることで、マチルダの言動がより露骨に映り、作品が誤解されやすくなった側面も否定できません。

しかし、完全版を通して観ることで、むしろ二人の関係が性愛ではなく「愛着」に基づいていることが、より明確になるとも感じました。

あらすじ

ニューヨークの安アパートに暮らす12歳の少女マチルダ。彼女は家庭内で孤立し、父親からは暴力を振るわれ、母親からも姉からも疎まれる存在でした。唯一心を許せる存在は、まだ幼い弟だけです。

そんなある日、父親が麻薬の横流しをしていたことが発覚し、悪徳麻薬捜査官スタンスフィールドがアパートを急襲します。スタンスフィールドは極端に情緒不安定で暴力的な人物で、マチルダの家族を容赦なく殺害します。

偶然外出していたマチルダだけが難を逃れ、恐怖の中で隣室に住むレオンの部屋へと助けを求めます。

レオンは、普段は無口で人付き合いを避ける男ですが、その正体は裏社会で名の知れた殺し屋でした。
彼は最初マチルダを拒絶しようとしますが、彼女の境遇を知り、結果的に彼女を部屋に匿います。

家族を失い、行き場を失ったマチルダは、レオンが殺し屋であることを知り、「家族の復讐のために人の殺し方を教えてほしい」と頼み込みます。

こうして始まった奇妙な共同生活の中で、二人は次第に互いにとって欠けていた存在となっていくのです。

「ロリコン映画」と言われ続けた理由

『レオン』は長年にわたり、「ロリコン映画」「問題作」と評されてきました。
確かに、少女が大人の男性に恋心を示すような言動を見せるシーンがある以上、違和感を覚える人がいるのも事実です。

しかし、その評価はあまりにも表層的だと感じます。

問題なのは「少女が恋をしているかどうか」ではなく、
なぜそのような言動に至ったのかという背景です。

本作は、虐待・ネグレクト・トラウマといった現実の問題を、極端な設定の中で描いています。
マチルダの言動は「性的に成熟した少女」を描いているのではなく、歪んだ環境で育った子どもの心の歪みそのものなのです。本作は、子どもが子どもとして守られなかった場合、どのような歪みが生じるのかを非常にリアルに描いています。マチルダの言動は、性的な魅力を強調するための演出ではなく、愛と安全を混同してしまった子どもの姿そのものです。

この映画を「ロリコン映画」と切り捨ててしまうことは、虐待やネグレクトを受けた子どもの心理を理解しようとしない態度と、どこか似ているようにも感じます。

大きな子どもレオンと、小さい大人マチルダ

『レオン』の物語構造を理解するうえで最も重要なのが、二人の精神年齢の逆転です。

小さい大人・マチルダ

マチルダは12歳という年齢に反して、驚くほど大人びた振る舞いを見せます。
タバコを吸い、性的な話題を口にし、「私が欲しいのは愛か死かよ」という強烈なセリフを、ためらいなく吐き出します。

しかしこれは、彼女が精神的に成熟していることを意味しません。
むしろ逆で、子どもでいることを許されなかった結果です。

家庭内で常に緊張を強いられ、安心できる大人を持たなかったマチルダは、
「子どもらしさ」を切り捨てることでしか生き延びられなかった。

大人びた言動は、自己防衛の結果であり、心の強さではなく心の傷なのです。

大きな子ども・レオン

一方のレオンは、年齢や職業とは裏腹に、非常に幼い精神構造を持っています。
読み書きが十分にできず、決まった時間にミルクを飲み、観葉植物を唯一の友人のように扱う生活。

彼は過去のトラウマによって心を閉ざし、感情の発達が途中で止まってしまっています。
殺し屋という職業は、感情や対人関係を最小限に抑えることができるため、彼にとっては最も安全な生き方だったのでしょう。

つまりこの二人は、
「早く大人になりすぎた子ども」と「成長できなかった子ども」
という、極端な対比の存在なのです。

告白の意味──それは恋ではない

マチルダがレオンに愛を告白する場面は、この映画の中でも特に議論を呼ぶシーンです。

しかし、この告白を恋愛感情として解釈するのは、非常に短絡的だと感じます。

心理学的に見れば、これは愛着行動です。
レオンはマチルダにとって、

  • 命を救ってくれた
  • 無条件で受け入れてくれた
  • 帰る場所を与えてくれた

初めての「安全基地」でした。

マチルダ自身が、「弟のことが好きだったのは、何もしないから」と語っていることからも、
彼女にとって「好意」とは「無害であること」とほぼ同義だったことが分かります。

年下の弟は家族だから「好き」。
年上の他人であるレオンを初めて「好き」になった。

その感情を、彼女は「恋」としか表現できなかったのです。

レオンの変化と父性の獲得

この関係性は、決してマチルダからレオンへの一方通行ではありません。

マチルダの存在は、レオン自身をも大きく変えていきます。
彼は彼女と過ごす中で、笑い、怒り、戸惑い、そして誰かの未来を願うようになります。

「殺しを教える」という歪んだ行為でさえ、レオンにとっては
初めて誰かの成長に関わる経験でした。

レオンが最終的に選ぶ行動は、恋人としてのものではありません。
それは、父親が子どもを守るために命を差し出す姿そのものです。

なぜ『レオン』は親子愛映画なのか

『レオン』は理想的な親子像を描いた映画ではありません。
むしろ、壊れた人間同士が、壊れた世界の中で、必死に愛を学ぼうとする物語です。

それでも、この作品が多くの人の心を打ち続けるのは、
愛を知らずに育った人間でも、
誰かを守ることで愛を知ることができる、
という希望が描かれているからでしょう。

だからこそ私は、この映画を
究極の親子愛映画だと思っています。

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