カルト系映画の決定版『ミッドサマー』共感は洗脳の材料になる

映画感想

『ミッドサマー』は、閉ざされたコミュニティの独自の風習に、外から来た人間が少しずつ飲み込まれていくじわじわ系の心理スリラー映画です。派手なホラー演出や突然の驚かしはほとんどありません。それでも観終わったあと、説明しづらい不安や後味の悪さが長く残ります。

なぜ、ここまで心をかき乱されるのでしょうか。

その理由は、この映画が描いている恐怖の正体が、怪物や超常現象ではなく人間の心理そのものだからです。本作が問いかけてくるのは、「なぜ人は、明らかに異常な共同体を自分の意思で選んでしまうのか」という点です。

この記事では『ミッドサマー』を、心理学・集団心理・洗脳の構造という視点から考察していきます。

※以下、物語の核心に触れるネタバレを含みます。

作品情報

作品名:ミッドサマー(Midsommar)
公開年:2019年
日本公開:2020年2月21日
上映時間:147分(ディレクターズカット:171分)
監督・脚本:アリ・アスター
製作国:アメリカ
ジャンル:フォークホラー/心理ホラー

あらすじ

家族を不慮の事故で失ったダニーは、大学で民俗学を研究する恋人クリスチャンや友人たちと共に、
スウェーデンの奥地で開かれる「90年に一度の祝祭」を訪れます。

太陽が沈まない白夜の村。美しい花々、親切で穏やかな住人たち。

一見すると楽園のように思えるその村は、次第に不穏な空気を帯び始めます。妄想、トラウマ、不安、恐怖。それらは静かに、しかし確実にダニーの心を侵食していきます。

日常から非日常へ|双極性障害と無理心中から始まる物語

主人公ダニーには、双極性障害を抱える妹がいます。

物語は、その妹が両親とともに無理心中を図るという、非常にショッキングな出来事から始まります。ダニーは一夜にして家族全員を失い、精神的に極めて不安定な状態に陥ります。

ただし重要なのは、彼女が「突然壊れてしまった人」ではないという点です。作中では、妹が無理心中を図るずっと前から、ダニーが妹の精神状態に振り回され、長期間にわたって強いストレスを抱えていたことが示唆されています。両親は常に妹を気にかけ、ダニーは「しっかり者」として頼られる側に回らざるを得ませんでした。

心理学的に見ると、これはケアする側が消耗していく構造です。共依存や感情労働の過剰負担に近い状態であり、ダニーは物語の冒頭からすでに「誰かに支えてほしい心」を抱えていました。

頼れない恋人|満たされない共感欲求

ダニーは恋人クリスチャンに頼ろうとします。しかし彼はそばにいながらも、ダニーの感情を一緒に引き受けてはくれません。彼は冷酷な人物ではありません。むしろ常識的で、優柔不断で、現実的な若者として描かれています。

しかし、強い喪失体験をした人が必要としているのは、正論や距離感のある配慮ではありません。必要なのは、感情をともに揺らしてくれる存在です。このズレが、ダニーをより孤独にし、共感に強く飢えた状態へと追い込んでいきます。


世界が反転する瞬間|洗脳はすでに始まっている

みんなでスウェーデン行きを決めた際、ダニーは冗談めかして「ペレに洗脳されたみたい」と口にします。車でホルガ村へ向かう途中、カメラはゆっくりと回転し、やがて天地が逆さまになります。

ここから先は、世界が反転する、つまり私たちの一般常識が通用しない物語が始まることが暗示されています。

季節として捉える人の一生|風習と洗脳は紙一重

ホルガ村では、人生を四季になぞらえて説明します。

0〜18歳は春、子どもの季節。
18〜36歳は夏、巡礼の季節。
36〜54歳は秋、労働の季節。
54〜72歳は冬、人々の師となる季節。

そして72歳で、人生を全うするとされています。

ダニーが「その後は?」と尋ねたとき、ペレは首を切るジェスチャーを見せます。その場では冗談として笑われますが、後にそれはアッテストゥパンという自害の儀式として現実化します。この価値観は命令ではなく、文化や風習として語られます。

人は「正しい」と教えられたものを、疑わずに内面化していきます。風習は、性質だけを見れば、洗脳とほとんど変わりません。

実は、今後の展開が絵画に描かれていた!?|タペストリーが語る結末の設計図

『ミッドサマー』では、物語の節目ごとに、タペストリーや壁画、絵画がさりげなく画面に映り込みます。一見すると装飾や民俗的な演出に見えますが、これらは単なる背景ではありません。
今後の展開をそのまま描いた「設計図」として機能しています。

観客は、物語が始まった時点で、すでに結末を見せられている。それにもかかわらず、その意味に気づくのは、すべてが終わったあとです。

色鮮やかなタペストリー|物語全体を四分割で示す予告図

美しいハープの旋律にのせて登場する、色鮮やかなタペストリー。ここには『ミッドサマー』の大まかなストーリーが、四分割された構図で描かれています。

祝祭への訪問、儀式、死、そして再生。観客は、この時点ですでに「この村が何をする場所なのか」を視覚的に提示されています。それでも、それを“物語”として認識できるのは、すべてを見終えたあとです。

枕元の写真|花冠を被ったダニーという未来

ダニーの枕元には、花冠を被った彼女自身の写真が飾られています。これは偶然の小道具ではなく、彼女が最終的に「メイクイーン」となる未来を、かなり早い段階で観客に刷り込んでいる演出です。喪失に沈む彼女の私的な空間に、共同体の象徴である花冠の姿を忍ばせることで、ダニーの運命がすでに村の物語に組み込まれていることが示されています。

「女王と熊」|終盤の選択を暗示する象徴

家族を失い、放心状態でベッドに横たわるダニー。そのベッドの上には「女王と熊」の絵が飾られています。この絵は、終盤で描かれるダニーとクリスチャンの関係性を、ほぼそのまま象徴しています。「弱った状態の彼女」と「犠牲となる存在」を重ね合わせることで、この物語が“回避不能な選択”へ向かっていることを、静かに示しています。

カカシの写真|火を恐れる存在が示すラスト

クリスチャンのアパートの冷蔵庫の上には、『オズの魔法使』に登場するカカシの写真が飾られています。カカシはワラでできており、火を極端に恐れる存在です。この「ワラ」と「火」の組み合わせは、ラストの展開を知ってから振り返ると、あまりにも露骨な暗示に見えます。

村の絵|風習は“現在進行形”で踏襲されている

村の壁に描かれた絵には、ホルガ村に伝わる風習が詳細に描かれています。重要なのは、それらが「過去の伝説」ではなく、現在まで踏襲されているという点です。とくに、村人が「あれは?」「ラブストーリーだ。」と説明する絵。花を後ろ向きで摘んだ夢占い、陰毛や経血を食事に混ぜる儀式、そして妊娠へ至る流れが、一連の“手順”として描かれています。

恋愛や生殖ですら、個人の感情ではなく、共同体の儀礼として管理されている。この時点で、ホルガ村では「自由意志」という概念がほぼ存在しないことが分かります。

際立つホルガ村の異常性|倫理が共同体に回収される構造

ホルガ村の異常性は、単なる残酷描写やショッキングな儀式にあるわけではありません。本当に恐ろしいのは、倫理の基準そのものが共同体に回収されている点です。

作中では、近親相姦によって人為的に障害を持つ子を産ませ、その「汚れのなさ」を理由に、村の神託を担う存在として位置づけています。彼は、村に伝わる聖書のような書物を書いていますが、それは理性や知性によるものではなく、「穢れのない存在だからこそ神の声を受け取れる」という理屈によるものです。さらに、その子にインスピレーションを与えるため、性交を集団で鑑賞させる場面まで描かれます。

ここでは、個人の尊厳・プライバシー・人権といった概念は存在しません。すべては「共同体の物語」を維持するために最適化されています。誰かが苦しんでいるかどうかは問題ではなく、儀式が正しく遂行されているかどうかだけが重要なのです。

違法薬物の当たり前化|感覚を麻痺させる装置

作中にはマジックマッシュルームが登場します。それは特別なものではなく、まるでお酒のように扱われます。物語前半では、摂取のタイミングが明確で、観客にも酩酊状態が分かりやすく描かれます。

しかし後半になるにつれ、いつ摂取したのかは分かりにくくなっていきます。背景の草花が不自然に動いていれば、その人物は薬物の影響下にあります。これは、ダニー自身が現実と幻覚の境界を見失っていく過程の視覚化です。

メイポール・ダンス|居場所を与えられる儀式

ダニーは、村の女性総出で行われるメイポール・ダンスに参加させられます。全員で手をつなぎ、何周も何周も同じ動きを繰り返します。最後まで踊り続けたダニーが優勝し、彼女は村での自分の居場所をはっきりと掴み取ります。

嘲笑ではない笑い|共感が生む安心感

優勝後のディナーで、ダニーは塩漬けのニシンを「尻尾からまるごと食べるように」と勧められます。当然飲み込めず、吐き出してしまいます。

村人たちは一斉に笑いますが、その笑いは嘲笑ではなく、親愛と共感の笑いです。

ダニーはここで、心の底から笑い合える仲間を初めて手に入れます。

植物との同化|コミュニティに取り込まれる身体

最初のトリップの段階で、ダニーは自分の体から草が生えている幻想を見ます。次第に同調は強まり、彼女の動きに連動して植物が呼吸しているかのように描かれます。

植物が象徴しているのは、ホルガ村というコミュニティそのものです。花でできたドレスと王冠を身につけた彼女は、完全に共同体と同化します。

生贄の選択|共感が同調圧力に変わる瞬間

ダニーは最後に、もう一人の生贄を恋人クリスチャンにするのか、抽選で選ばれた村人にするのか、選択を迫られます。彼女は浮気をされた怒りから、クリスチャンを生贄に選びます。

神殿に火が放たれ、体に火が付いたウルフの絶叫を、村人たちもまねて叫びます。最初は泣き崩れていたダニーですが、神殿が焼け落ちていくにつれ、何かを悟ったように微笑み始めます。

クリスチャンは、家族を失い涙するダニーのそばにはいましたが、一緒に泣いてはくれませんでした。一方、ホルガ村の人々は、大袈裟なほどに感情を共有します。他者への共感力や共鳴力の高さは、時に個人の自由を許さない強烈な同調圧力になります。

夏至祭はまだ終わっていなかった|9日間の祝祭と残された4日

ここで改めて考えたいのが、夏至祭の日数です。劇中で描かれているのは、ホルガ村に到着してから数日間の出来事にすぎません。しかし、祝祭は9日間続くと説明されています。つまり、映画が終わる時点でも、祝祭はまだ4日間残っていることになります。

タペストリーや壁画には、作中で描かれなかった儀式と思われる絵も確認できます。そこから、映画の“その後”を想像することは十分に可能です。また、ペレがダニーに「去年のメイクイーン」の写真を見せる場面がありますが、この女性は村に到着したあと、一度も姿を現しません。

写真だけが存在し、現在の姿が描かれない。それ自体が、この祝祭の行き着く先を暗示しているようにも見えます。壁画に描かれるメイクイーンは、太陽を模した存在です。しかし、エンドロールで流れる曲は「もう太陽は輝かない」というタイトルを持っています。

映画は終わりますが、ホルガ村の日常は終わらない。その余白こそが、この作品に残る最大の恐怖です。

感想|明るいことが、いちばん怖い

『ミッドサマー』が恐ろしいのは、異常な人々を描いているからではありません。

双極性障害、無理心中、喪失、孤独、共感。これらが重なったとき、人は驚くほど簡単に「居場所」を選び間違えます。共感は人を救います。同時に、共感は人を縛ります。

明るいことが、いちばん怖い。この映画は、それを静かに、しかし確実に突きつけてきます。

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