『哀愁しんでれら』実はどこの家庭でもあり得る話

映画感想

児童相談所職員が主人公――。
その設定を知った時点で、どうしても気になってしまった映画『哀愁しんでれら』を鑑賞してきました。

正直に言えば、ポスターやあらすじをほとんど確認しないまま劇場に足を運んでいます。しかし結果として、それは非常に良い選択だったと感じました。なぜなら本作は、事前情報を入れすぎない方が、「違和感」や「不安」をより生々しく受け取れる作品だからです。

本記事では、ネタバレを含みつつ、感想・考察・疑問点を整理しながら、この映画が描いたものの正体について掘り下げていきたいと思います。

作品情報

  • 作品名:哀愁しんでれら
  • 公開年:2021年
  • 監督・脚本:渡部亮平
  • 主演:土屋太鳳、田中圭
  • 上映時間:114分
  • ジャンル:サスペンス/心理ドラマ

あらすじ

児童相談所で働く女性・小春は、ある出来事をきっかけに人生の歯車が大きく狂い始めます。仕事では「子どもを守る側」に立ちながら、私生活では自分自身の足場が崩れていく――そんな状態です。

そんな彼女の前に現れるのが、医師であり、娘ヒカリを男手一つで育ててきた大悟でした。二人はやがて結婚し、小春は突然「母親」という役割を引き受けることになります。

血のつながらない娘。急に始まった共同生活。一見すると経済的にも社会的にも恵まれた家庭ですが、そこには少しずつ、確実に歪みが生じていきます。

「良い母親とは何なのか」
「家族とは、どこまで我慢すべき関係なのか」

その問いに真面目に向き合おうとすればするほど、小春は自分の感情を押し殺し、取り返しのつかない選択へと近づいていきます。

行政が機能しなかった「最悪の世界線」

本作を観終わって、まず強く感じたのはこの点でした。

この映画は、児童相談所も、学校も、周囲の大人も、
すべてが「機能しなかった場合」の世界を描いている
、ということです。

主人公の小春は児童福祉司ですが、もし彼女が児童心理司としての専門的な視点を持っていたなら、
この物語はまったく違う結末を迎えていたかもしれません。

ラストはやや飛躍している印象を受けますが、
そこに至るまでの過程は、現実でも十分に起こり得る展開だと感じました。

特に印象的なのは、
虐待親やモンスターペアレントは、当事者になると周囲の声が一切届かなくなる
という点が丁寧に描かれていることです。

援助者として関わる場合は、正面から否定しないこと、表面上は受容しながら本人が「自分で気づいた」と思える導線を作ることが非常に重要になります。

大悟のように、高学歴で社会的評価も高い一方で、情緒的には未成熟な親は特に難しい存在です。自分は正しい、という自己評価が強固なため、自己中心的であることに無自覚な場合が多いからです。大悟は、まさにその典型例だと感じました。

大悟の抱える問題をヒカリが表現している

子どもの問題行動は、親が抱えている問題の「鏡」であることが多いと言われています。本作は、その構造を非常にわかりやすく、かつ残酷に描いています。

大悟は、幼少期から母親との関係に強い葛藤を抱えてきた人物です。その未解決の感情を、無自覚のまま「父親」という立場で再演しているように見えます。

一方のヒカリは、2歳で母親を事故で亡くし、祖母とは疎遠、父親は多忙な開業医という環境で育ってきました。小学校低学年までの間に、養育者との安定した情緒的交流を十分に経験していない可能性が高いと考えられます。そのため、他者の気持ちがわからず、愛情に強く飢えているのに、年齢に即した甘え方を知らない状態になっているのでしょう。

結果として、一度でも注目してもらえた行動を繰り返す。これは心理学的に「注意獲得行動」と呼ばれます。

また、ヒカリの実母が本当に事故死だったのか、という点にも疑問が残ります。
大悟の行動や価値観を振り返ると、事故に見せかけて殺された可能性や、あるいは「母親失格」という圧力の中で自死に追い込まれた可能性、どちらも完全には否定できないと感じました。

ヒカリの本当の気持ち

くるみちゃん殺しを疑われた際に、ヒカリが漏らした、「パパもママも大好きなだけなのに」という言葉。これこそが、ヒカリの本当の気持ちだと思います。

小春のお弁当を食べなかったり、筆箱をトイレに捨てたりする行動は、作中では「赤ちゃん返り」と表現されています。しかし実際には、これは試し行動です。「この人は本当に自分を捨てないか」それを確かめるための行動であり、里子や愛着に問題を抱える子どもによく見られます。

ただしヒカリは、情緒的には未成熟である一方、知的には高い子どもです。そのため、試し行動のレベルが高く、突然母親になった小春には耐えきれないものになっていました。さらに、小春がヒカリとの内緒の話を大悟に共有してしまったことで、ヒカリの不信感は決定的なものになります。

通常であれば、学校や相談機関、親戚や友人等、どこかが介入するはずの状況です。しかし、裕福さや孤立、「触らぬ神に祟りなし」という空気が重なり、誰も踏み込みませんでした。その結果、この家庭は最悪のルートを辿ってしまったのだと思います。

自分を捨てて「良い母親」になるという選択

小春がヒカリにあげた筆箱を海に捨てた場面は、物語の大きな転換点だったと感じました。小春はその出来事を「見なかったこと」にします。それはつまり、良い母親であるために、自分の感情を殺す選択をしたということです。

感情を抑え込み続けた結果、ある瞬間、ぷつりと糸が切れる。ヒカリを叩いてしまった小春。その後、大悟に助けられ、指輪をはめられる場面が続きます。あの指輪は、ヒカリが隠していたものではないかと考えられます。小春を連れ戻すために、大悟に真実を話したのでしょう。

踏切というモチーフは、人生が一瞬で反転する象徴として非常に印象的でした。小春の父が語っていた「ずっとその場にいると、人は馴染む」という言葉通り、小春は徐々に“怪物側”に適応していきます。

くるみちゃんを殺したのは誰なのか

結論から言えば、ヒカリはくるみちゃんを殺していないと考えるのが自然でしょう。ラストに登場する女の子からの手紙が、その無実を示しています。

ヒカリの行動パターンは、自分を被害者にして周囲の注目を集めるものであり、殺害はその目的に合致しません。

ヒカリを犯人呼ばわりした男の子は、これまで何度も濡れ衣を着せられてきた存在です。くるみちゃんへの好意と、ヒカリへの怒りや悔しさが重なり、嘘という形で噴き出したのではないでしょうか。

機能不全家族という構造

大悟の根底には、母親に何もしてもらえず、助けてもらえなかった、という強烈な体験があります。

「子どもの一生は母親の教育で決まる」この言葉こそが、大悟の本質を表しているように感じました。

また、大悟の中には父親像がほとんど存在しません。本来であれば、多くの家族は父親が叱り、母親が寄り添うという役割分担があります。しかしこの家庭では、両親ともにヒカリに寄り添い、客観視する存在がいなくなってしまいました。

この家族において、ヒカリがルールになっていたのです。

ペットの剥製を愛でていた大悟の描写は、生と死の境界が曖昧であることを示す伏線だったように思います。ラストは、そこを一歩踏み越えてしまった結果なのでしょう。

反面教師・色・靴という象徴

本作で特に印象に残ったのは、象徴表現の巧みさです。

反面教師

小春が「あんな風にはなりたくない」と思っていたもの――

  • モンスターペアレント
  • 虐待親
  • 子どもを捨てて出ていく母親
  • 踏切で死が迫る人

それらが、いつの間にか自分自身になっている。
この繰り返しが、物語を静かに追い詰めていきます。

家族になり始めた頃、大悟・小春・ヒカリは青・黄・赤という三原色を身にまとっています。

混ざり合わない「個」を象徴しているようでしたが、ヒカリが殺人者呼ばわりされる頃には、
三人とも白い服で同じ空間にいます。これは、三人が混ざり合い、小春が完全に取り込まれたことを示しているように思えました。

そして本作の最大のキーワードが「靴」です。赤い靴、銀のパンプス、12時が迫る時計。これは明らかにシンデレラ・モチーフでしょう。

魔法が解けたあと、再び自分で魔法をかけ直す小春。歪んだかたちではありますが、「幸せな家族」を取り戻して物語は終わります。

映画全体を通して

映画としてはテンポが非常に良く、最後まで飽きずに観ることができました。一方で、ラストの展開はヒントが多く、ミステリーとしてはやや先が読めてしまった点が惜しく感じられます。

それでも、クラシカルでおしゃれな雰囲気や心理描写のリアルさ、善意が暴走する怖さは十分に印象的で、自信を持っておすすめできる一本です。

……もっとも、ここまで読んでいる方は、すでに鑑賞済みである可能性が高いですが。

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