お洒落なフランス映画『アメリ』を観ると世界の見方が変わる!

映画じかん

あらすじ

神経質な両親の元で育ち、空想の中で遊ぶのとこっそり悪戯するのが得意になったアメリ。

22歳になり、モンマルトルのカフェで働く彼女は、青年ニノに出会って心ときめくが、どうしたらいいか分からず悪戯を仕掛ける。

「デリカテッセン」「ロスト・チルドレン」のジュネ=ピーエル・ジュネ&マルク・キャロのジュネ単独の初長編。

セット撮影の多かった彼が、今回はロケ撮影で後加工した作り込んだ映像を展開。

美術は「ロスト・チルドレン」のアリーヌ・ボネット。

日本では渋谷シネマライズを中心にミニシアターでロングランヒットを記録。

主演オドレイ・トトゥの出世作にもなった。

開始5分で心をつかまれる

この映画『アメリ』では冒頭からナレーションが入り続ける。

決してナレーションが入る映画が珍しいというわけではないが、特筆すべきなのはそのナレーション内容と映像である。

路上のハエが車に轢かれ、レストランのテーブルの上のグラスが風で揺れ、親友の葬儀から戻った老人が住所録から名前を消していた…このどうでもいい出来事と同時に、アメリの父親の精子が母親の卵子に、ちょうどその時到達していた、という具合で始まっていく。

自殺未遂の金魚こそ、アメリ

そしてここからは、アメリの両親とアメリの成長期における教育と環境についての説明が怒涛のようになされていく。

子供時代、金魚が鉢を飛び出したエピソード「金魚の自殺未遂」があり、鉢の外では生きていけない金魚こそ、アメリ自身である。

アメリは父に心臓の病気と診断され、学校に行かず母の教育を受けて育ったため「ガラス鉢の外では生きていけないから、外に出るのは自殺行為」だと思い込んでいた。

だからアメリはいつも、ガラスの内側にいるのだ。

やがてアメリは母親を事故で亡くし、孤独の中で想像力の豊かな、しかし周囲と満足なコミュニケーションがとれない不器用な少女に成長していく。

はじめての世界との調和

大人になったアメリは、ある日部屋で誰かの古い宝箱を見つける。

探偵の真似事をして前の住人を探し、ついに持ち主に辿り着く。

アメリは宝箱を返して喜ばれた所を”ガラス越しに“見ている。

初めて世界と調和が取れた気がしたアメリは、人を幸せにすることに喜びを見出すようになった。

それから、アメリは手段を選ばぬ小さなイタズラ(犯罪も含むのでヒヤヒヤした)で、周囲の人々を幸せな気分にさせて楽しむ。

しかしそれとは裏腹に、彼女に関心を持ってくれる人物は誰も現れなかった

他人を幸せにしてきたアメリだったが、気持ちをどう切り出してよいのかわからず、自分が幸せになる方法を見つけられない

呪いを解くのは私

ある時、ニノの置き忘れた証明写真コレクションアルバムを手に入れたアメリ。

返す約束を取り付けるがストレートに切り出せず、宝探しのゲームのように彼を振り回し、直接会うことなくアルバムを返す。

その後もアメリ自身は“ガラス越し”に会話をしたものの、ニノの前に姿を表さないため、彼にとっても気になる存在になっていく。

駅で赤いバスケットシューズの男と会うニノを見守るときも、アメリは駅構内カフェのガラスの内側にいる。ついにアメリが勇気を出してガラスの外に出ていくが、長い貨物台車に遮られてしまい、ニノに会うことはできなかった。

その後、ニノに部屋の扉をノックされ、いったんは身を潜めるアメリ。

彼のノックで、彼女のガラスは確かに割れ、感情が噴き出してくる。でもその行き場はまだない。

一歩を踏み出せずに”ガラス越し”にニノを見続けるアメリに、隣の老人が背中を押す

…そして、ついにドアを自分から開けてニノを受け入れる。

ベッドではニノがアメリを抱いているのではなく、アメリがニノを抱いている。

彼女が自分で自分の扉を開き、自分の意志で彼を引き入れたからこその、この構図。

エンディングで父が自ら旅に出るシーンがあるが、あれもアメリがさりげなく促した結果。

親にかけられた呪いを自分で解き、親が親自身にかけた呪いを解くのも、私。

アメリは自分の力でガラスを破り、自分の人生を自分で切り開く、主体性のある強い女性の物語。

誰でも自分の人生の主役であることを思い出させてくれて、明日を頑張ろうと思えるような映画であった。

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