映画『ユージュアル・サスペクツ』考察|キントの嘘はどこから?伏線とラストを徹底解説

映画感想

1995年公開の『ユージュアル・サスペクツ』を鑑賞しました。

「どんでん返し映画の名作」として必ずと言っていいほど名前が挙がる作品なので、かなり身構えて観ていたのですが、普通に面白かったです!

そしてぜひ一度、テレビ東京版の吹き替えでも観てみたいところ。マクマナスが大塚芳忠さんというだけでも気になりますし、吹き替えキャストがかなり豪華なんですよね。いつか観られる機会が来ないかな……。

ただ、肝心のどんでん返しについては、個人的には「最後の最後で全部ひっくり返されてビックリ!」というより、ずっと抱いていた疑いに、ラストの壁とマグカップで明確な答えを出してもらった感覚でした。

とはいえ、正体が分かった状態でもう一度観ると、初見とはまったく違う映画になりそうです。

※ここからは『ユージュアル・サスペクツ』の重大なネタバレを含みます。

あらすじ

カリフォルニア州サンペドロの港で、貨物船が炎上する大事件が発生。多数の死者を出した現場から生き残ったのは、重傷を負ったハンガリー人の男と、左半身に障害を持つ詐欺師ヴァーバル・キントでした。

事件の少し前、銃を積んだトラックが強奪され、その容疑者として5人の犯罪者が警察署へ集められます。元汚職警官のキートン、血気盛んなマクマナス、冷静なフェンスター、爆発物に詳しいホックニー、そしてキント。いわゆる警察に目をつけられやすい「いつもの容疑者たち」です。

警察への腹いせをきっかけに手を組んだ5人は、やがて犯罪の世界で伝説的に恐れられている謎の人物「カイザー・ソゼ」の存在に巻き込まれていきます。

そして現在。税関特別捜査官クイヤンはキントを取り調べ、船で一体何が起きたのかを聞き出していきます。

映画の大部分は、キントが語る「過去」の映像として描かれます。

しかし――その物語は、本当に起きたことなのでしょうか。

「どんでん返し」よりも答え合わせの気持ちよさ

本作といえば、映画史に残るどんでん返し作品として有名です。

ただ、私はそこまで「えええ!?」とはなりませんでした。

キントについては途中からかなり疑っていて、最後にクイヤンが部屋の壁を見渡し、これまで聞かされてきた話の中に登場した固有名詞が次々と目に飛び込んでくる。そして決定打となるマグカップ。

「ああ、やっぱりそういうことだったのね!」

という、驚きよりも答え合わせの爽快感の方が大きかったです。

むしろこの作品の面白さは、カイザー・ソゼの正体そのものより、観客がキントの話をどこまで無意識に「事実」として受け入れていたのかにあるのだと思います。

私たちが観ていた「回想」は、本当に存在したのか?

ただ、ここで一つモヤモヤします。

映画のほとんどがキントの回想で構成されています。

そして最後には、キントが取調室にある掲示物などから言葉を拾い、その場で物語を作り上げていたことが明らかになります。

ということは――。

今まで私たちが観ていたものって何だったの?

となるんですよね。

普通のミステリーでは、回想シーンは基本的に「過去に起きた事実」として提示されます。

語り手が多少嘘をついていたとしても、映像で提示されると、観客は無意識に「これは実際に起きたことなんだ」と認識してしまいます。

『ユージュアル・サスペクツ』は、その映画そのものの約束事を逆手に取っています。

キントはクイヤンだけを騙していたのではありません。

映画そのものを使って、観客まで騙していた。

だから「反則じゃない?」と思う気持ちと、「だからこそ面白い」という気持ちが両方残ります。

では、どこまでが嘘だったのか?

ここが本作最大の考察ポイントだと思います。

キントの証言が嘘だったからといって、映画で描かれた出来事のすべてが完全な創作だったとは限りません。

実際に船は爆発していますし、死者も出ています。5人が集められたことなど、警察側でも確認できる事実は存在します。

つまりキントは、完全なゼロから物語を作ったというより、実際に起きた出来事の骨格に、その場で拾った名前や設定を組み合わせて「もっともらしい物語」を作ったと考える方が自然です。

そう考えると、キントの恐ろしさがさらに際立ちます。

嘘というものは、すべてを作り話にするよりも、事実の中へ少量の虚偽を混ぜた方が見抜きにくくなります。

何が事実で、何が嘘なのか。

それを最後まで確定できないからこそ、カイザー・ソゼは映画が終わった後まで「正体の掴めない存在」であり続けるのでしょう。

「カイザー・ソゼを知らない男」が詳しすぎる

キントを疑うポイントはいくつもありましたが、個人的にかなり引っかかったのがカイザー・ソゼについての知識です。

キントの回想の中では、5人のうち彼だけがソゼを知らなかったはずです。

ところが警察で証言する段階になると、やけに詳しい。

ソゼの過去や伝説についてまで語ります。

もちろん、「後から聞いた」と考えることはできます。

しかし、そもそもソゼの存在自体を疑っているキートンが、わざわざそこまで詳しく説明したのか?という違和感が残ります。

ラストを知ってから考えれば、当然です。

詳しいどころか本人なのだから。

初見では流せる程度の違和感を残し、それが最後に意味を変える。このくらいの伏線の置き方が上手いです。

ホックニーが見た人物

船襲撃のシーンも大きなヒントでした。

爆弾を仕掛けたホックニーが何者かに襲われます。

その時のホックニーは、単に敵に遭遇して驚いたというより、そこにいるはずがない人物を見たような反応をしています。

そして、その時点で船外にいた人物を考えていくと、キントがかなり怪しくなります。

ここで私は「やっぱりキントじゃない?」とかなり確信しました。

キントは、身体的に弱く、犯罪者集団の中でも「戦闘要員ではない人物」として観客から認識されています。

だからこそ、その前提を一度疑ってしまうと、いろいろな場面の見え方が変わってきます。

冒頭から答えを見せていた?

どんでん返し映画は、ラストだけではなく冒頭が重要です。

そして『ユージュアル・サスペクツ』も、見返すと冒頭から核心に触れています。

特に印象的なのが、キートンの「足の感覚がない」という台詞。

初見では負傷したキートンの状態を説明しているだけに聞こえます。

しかし映画を最後まで観た後では、「足」というキーワードそのものが、足を引きずって歩くキントを連想させます。

そしてラスト。

警察署から出ていったキントの歩き方が少しずつ変化していきます。

引きずっていた足が正常になり、曲げていた腕も伸びる。

それまで私たちが見ていた「無力なヴァーバル・キント」が、歩きながら消えていくような場面です。

変装を解くのではなく、身体そのものが演技だったと視覚的に明かすのがめちゃくちゃ格好いい。

マクマナスにも注目して冒頭を見返したい

さらにラストまで観てから冒頭を見返すと、初見では処理しきれなかった情報にも気づけます。

特に人物関係や船上での位置関係。

初見では「誰が誰だっけ?」となりやすいのですが、登場人物を把握した状態で見返すと、マクマナスの状態をはじめ、後の展開につながる情報がかなり早い段階から提示されています。

最初に「結果」を見せておいて、そこに至るまでの過程をキント自身に語らせる。

そして最後に、その過程自体の信頼性を破壊する。

改めて考えるとかなり変わった構造です。

「コバヤシ」なのに全然日本人じゃない

これはストーリーとは関係ないのですが、ずっと気になりました。

「コバヤシ」という弁護士が出てくると聞いて、

「日本人出てくるんだ」

と思ったら……全然違う(笑)。

ハーフでも日系人でもなさそうです。

しかし、ラストまで観れば、この違和感にも別の意味が生まれます。

そもそも「コバヤシ」という名前自体、キントの語る物語の中で使われた名前にすぎない可能性があるからです。

つまり、「なんでこの人がコバヤシなの?」という観客の違和感そのものが、この物語がどこかおかしいというヒントだったとも考えられます。

一見すると妙なキャスティングなのに、作品の構造を知ると、その不自然さまで作品の一部に見えてくるのが面白いです。

タイトル『ユージュアル・サスペクツ』の意味

タイトルも好きです。

“The Usual Suspects”は、「いつもの容疑者たち」「お決まりの容疑者」といったニュアンス。

何か事件が起きるたびに警察から疑われるような、お馴染みの犯罪者たちということですね。

警察署に並ばされた5人のメインビジュアルともピッタリです。

そして、このタイトルがカイザー・ソゼの存在を直接示していないのも良いところ。

映画を観る前には何もネタバレせず、観た後には物語の始まりそのものを象徴するタイトルになっています。

さらに考えると、警察が「いつもの容疑者」というカテゴリーで人間を見ること自体も、ソゼに利用されたのではないでしょうか。

人は、相手を一度カテゴリーに入れると、その枠組みに沿って情報を解釈しやすくなります。

キントは「身体に障害があり、気弱で、他の犯罪者についていくしかない小物」。

クイヤンも観客も、その第一印象に引っ張られます。

しかし、その人物像自体が最大のトリックでした。

カイザー・ソゼ最大の武器は「弱そうに見えること」

結局、ソゼの最大の武器は銃でも暴力でもありません。

他人が自分をどう見るかをコントロールできる能力だったのではないでしょうか。

人は「弱そうな人」を脅威として認識しにくい。

キントはそれを徹底的に利用します。

身体障害。

気弱な表情。

どもるような話し方。

他人に従っているような態度。

そして、クイヤンが欲しがっている「キートンが黒幕だった」というストーリーまで用意する。

取り調べでは、相手に嘘を信じさせるためには、相手が信じたい物語を与えることが非常に有効です。

クイヤンは自分がキントから真相を引き出したと思っています。

しかし実際には逆。

キントが、クイヤンを「自分で答えにたどり着いたと思わせる場所」まで誘導していたのです。

ここが一番怖いところでした。

「悪魔の最大のトリック」の意味

本作を象徴するのが、

「悪魔が仕掛けた最大のトリックは、自分が存在しないと世界に信じ込ませたこと」

という考え方です。

まさにカイザー・ソゼそのもの。

強大な犯罪者として恐れられながら、本人は目の前にいても誰にも気づかれない。

しかも彼は、自分の存在を隠すだけではありません。

「カイザー・ソゼとはこういう人物だ」という伝説そのものまで、自分で作り替えられる可能性があります。

そう考えると、私たちが映画の中で聞かされた「カイザー・ソゼ伝説」すら本当なのか分からない。

この映画は最後に犯人を教えてくれます。

なのに、真相はむしろ分からなくなる。

そこが『ユージュアル・サスペクツ』の面白さなのだと思います。

洋画の「顔と名前問題」が今回も発生

最後に完全に個人的な話ですが、洋画を観るたびに思います。

外国人俳優の顔と名前が混ざる!!!

特に本作は男性犯罪者が一気に5人出てきて、序盤は名前と顔を一致させるだけでも結構大変でした。

こういうミステリーでは、「今の誰?」「この人さっき何してた?」となるだけで伏線を一つ落としかねないので、本当に損している気分になります。

せめて吹き替えなら声で判別できるのに……。

今回Amazon Prime Videoで観たものは字幕版だったので、なおさらテレビ東京版の吹き替えを観てみたくなりました。

大塚芳忠さんのマクマナス、絶対格好いい。

総評|犯人を知ったところから、もう一度始まる映画

『ユージュアル・サスペクツ』は、「最後の数分ですべてがひっくり返る映画」として語られることの多い作品です。

ただ個人的には、正体そのものよりも、真相を知った瞬間、それまで観ていた約2時間の意味が変わることの方が面白かったです。

私たちはキントの証言を聞いていただけなのに、映像になった瞬間、それを「事実」だと思ってしまう。

そしてキントの弱々しい姿を見て、「この人が支配者であるはずがない」と勝手に思い込む。

その観客の認知まで含めてトリックになっていました。

一方で、「じゃあ今まで観ていた回想のどこまでが本当だったの?」というモヤモヤも残ります。

でも、その答えが永久に分からないことまで含めて、この映画なのかもしれません。

カイザー・ソゼの正体は分かった。

それなのに、カイザー・ソゼについては何一つ分からない。

そんな奇妙な余韻を残して終わる作品でした。

そしてもう一度観るなら、今度こそ吹き替えで。

……テレビ東京版、どこかで観られるようになりませんかね(笑)。

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