閉ざされたコミュニティでの独自の風習に、
外から来た者らが飲み込まれ…??と言ったジワジワ系のスリラー映画。
心理学の視点から、考察してみました。
あらすじ
家族を不慮の事故で失ったダニーは、大学で民俗学を研究する恋人や友人と共にスウェーデンの奥地で開かれる”90年に一度の祝祭”を訪れる。美しい花々が咲き乱れ、太陽が沈まないその村は、優しい住人が陽気に歌い踊る楽園のように思えた。しかし、次第に不穏な空気が漂い始め、ダニーの心はかき乱されていく。妄想、トラウマ、不安、恐怖……それは想像を絶する悪夢の始まりだった。
(公式サイトより引用 https://www.phantom-film.com/midsommar/sp/)
日常から非日常へ
主人公のダニーには双極性障害を抱える妹がいる。
物語は妹が両親と共に無理心中を図った所からはじまり、
ダニーは精神的に非常に不安定な状態に陥る。
だが、無理心中を図るずっと前から、ダニーはその妹に振り回されていたことが示唆される。
両親は妹ばかりに注目し、自分を見てくれず、自分は頼られてばかりな上、
妹の状態が落ち着かない状況で精神的に追い詰められていたことだろう。
ダニーは頼ることができる(=依存できる)家族のような存在を求めていたが、
恋人のクリスチャンには頼りながらも、寄り添ってもらえていない様子が窺える。
みんなでスウェーデン行きを決めた時には“ペレに洗脳された”と言ったり、
コミューンを見て“カルトみたい“と言ったり、
所々で異常性を認識しつつも、「まさか自分が…」という具合で巻き込まれていく。
車でホルガ村を目指し、やがてカメラはぐるりと回転、天地が逆さまとなる。
ここからは、世界が反転する=我々の一般常識が通用しない物語が始まることが暗示されているようだ。
季節として捉える人の一生
“生”と”性”は人間にとって普遍的なものであるからこそ、
この作品の中での主軸になっている。
一行はペレから「人生は一つの季節である」と説明を受ける。
0歳〜18歳(春)子供の季節
18歳〜36歳(夏)巡礼の旅をする季節
36歳〜54歳(秋)労働の季節
54歳〜72歳(冬)人々の師となる季節
という様に、生命のサイクルは、
村独自の解釈から18歳刻みで四季になぞらえ、
72歳で人生を全うするようになっている。
ダニーが「その後は?」と聞いた際、
ペレは首切りのジェスチャーを行い、一行はジョークだと思い笑っている。
しかし、その後実際にアッテストゥパンという儀式で自害する現場に立ち会い、
事態の深刻さを目の当たりにしてようやく”異常”であることに気がつくが、時既に遅し。
その後、外部から来た客人らは各々の理由で消えゆく訳だが、どこか七つの大罪みを感じる。
子どもの頃に正しいと教えられてきたものや、
育った環境で正しいとされて周りの人々が行なっている行為や考え方は、
子どもにとっての“当たり前”となる。
風習は、性質だけ見れば「洗脳」と変わりない。
実は、今後の展開が絵画に描かれていた!?
映画に登場する絵画は今後の展開を暗示している。
①美しいハープの旋律にのせて登場する、色鮮やかなタペストリー。
『ミッドサマー』の大まかなストーリーが、四分割されて示されている。
②枕元には、花冠を被っているダニーの写真が飾られている。
③家族を失った哀しみで、放心状態でベッドに横たわるダニー。
彼女のベッドには、「女王と熊」の絵が飾られ、終盤のダニーとクリスチャンが投影されている。
④クリスチャンのアパートの冷蔵庫の上には
『オズの魔法使』に登場するカカシの写真が飾られている。
カカシはワラで出来ているため、極端に火を恐れているという設定。
これもラストの暗示になっている。
⑤村の絵は、この村に伝わる風習が描かれており、
それが過去のものではなくて、現在まで踏襲しているため、絵からその後を予想することが可能。
村で「あれは?」「ラブストーリーだ。」と言われた絵。
気になる人ができたら花を後ろ向きで摘んだ花で夢占いをし、
陰毛や経血を食事に混ぜて意中の相手に食べさせることで、結ばれ、
子どもを妊娠することができるというストーリーが描かれている。
際立つホルガ村の異常性
近親相姦よって人為的に障害を持った子を産ませ、村の神官のような役割を与える。
そして、障害があることから汚れがないとされ、村に伝わる聖書のようなものを書いている。
彼に何かインスパイアを与えさせるために、性交を鑑賞させるシーンもあり、ホルガ村の異常性が一層際立つ。
コミュニティの一員となったダニー
作中にはマジックマッシュルームが出てきて、当たり前のように友達とトリップを楽しむ。
違法薬物はお酒と同等の位置で描かれる。
物語前半では摂取のタイミングが明確でわかりやすく酩酊状態になるが、後半ではいつ摂取したのかは分かりにくくなっている。
見分ける方法としては、背景の草花が明らかに変な動きをしていれば、薬物がキマっている状態である。
ダニーはドラッグが入った飲み物を村人から勧められる。
村の女性総出のメイポール・ダンスの大会に参加させられ、全員で手をつないでメイポールの周りを何周も何周もする。そして、最後までダンスを続け立つことができ、ダニーが優勝する。
村での自分の居場所を掴み取ったのだ。
優勝したダニーは、ディナーで塩漬けのニシンを「尻尾からまるごと食べるように」と言われるが、
飲み込めるはずもなく吐き出してしまう。それを見た村人たちは一斉に笑いだすのだが、
重要なのはこの笑いがダニーが恐れていた“嘲笑”ではなく、親愛の情を込めて笑っている、ということ。彼女は、心の底から笑いあえる仲間を見つけた。
もう一つ注目したいのは、ダニーがどんどん植物に取り込まれていくこと。
最初のトリップから、彼女は自分の体から草が生えている幻想にとらわれていた。
次第にその同調は顕著なものとなり、このディナーシーンでは彼女の動きに連動して植物が呼吸しているかのように見える。
植物が表象しているのは、ホルガ村というコミュニティそのもの。
彼女は花でできたドレスと王冠を被ることで、完全にコミュニティと同化したことが示される。
人間は共感してくれる人と一緒にいたくなる
ダニーはあと1人の生贄を、よそ者のクリスチャンにするのか、
それとも抽選で選ばれた村人にするのか、選択を迫られる。
彼女は浮気をされた怒りから、恋人のクリスチャンを生贄に選択する。
やがて、生贄のいる神殿に火が放たれる。
体に火が付いたウルフの絶叫を、外にいる村人たちもまねて叫ぶ。
開始直後は苦悩と恐怖で泣いていたダニーだったが、
神殿が焼け落ちてゆくにしたがい、何かを悟ったように微笑み始める。
今まで寄り添ってくれていたクリスチャンは、
ダニーの家族が亡くなり涙しているときにはそばにはいたものの、一緒には泣いてくれはしなかった。
一方で、ホルガ村の村人たちは大袈裟なほどに一緒に気持ちを分かち合う。
他者への共感力や共鳴力の高さは、時に個人の自由を許さない同調圧力になる。
彼女はクリスチャンからは決別するが、それは個としての自立ではなく、
ホルガ村という新たな依存先を見つけただけ。
そのことが示す未来もまた戦慄を予感させる。
夏至祭はまだ終わっていなかった
ここで考えたいのは夏至祭の日数。
劇中ではホルガ村に到着してミッドサマーを始めるといってから5日間しか経っていない。
映画は終わるが、この9日間の祝祭にはあと4日間が残されている。
作中に登場するタペストリーには、
物語中に見れなかったと思われるいくつかの儀式らしき絵を見つけることができるため、
そこから終幕後の展開が予想できるだろう。
ホルガに向かうことを決めたダニーにペレが、
去年のメイクイーンの写真を見せるシーンがあるが、
この女性はホルガ村に着いた後も姿を現さず、写真だけの登場となっている。
さらに、壁画などに描かれるメイクイーンは太陽を模した絵になっているが、
エンドロールのスタッフクレジットで流れている曲名は
The Walker Brothersの「Sun Ain’t Gonna Shine(もう太陽は輝かない)」である。
ホルガ村が信仰するのは、いわゆるペイガニズム(自然崇拝、多神教)。
西欧文明が信仰するキリスト教とは相容れないものであり、ここではダニーたちは異教徒。
最後に焼かれるクリスチャンという名前が、キリスト教徒を意味するのは非常に意味深である。
ペレって何者だったの?
最後に、全ての元凶となった“ペレ”について考察したい。
彼が一行をスウェーデンに誘った時、
ボーイズトークをするクリスチャンに
「スウェーデン女を妊娠させる」とさりげなく軽口を飛ばすという伏線があった。
また、ペレはダニーと同じように家族を失ったと言っており、
これはホルガ村の何らかの儀式で家族を失ったと解釈できる。
しかし、ペレはダニーの気持ちがわかるといいながらこの地に家族がいると話す。
ペレは両親が幼い頃炎につつまれて死んだと言っていることから、
もしかするとペレは小さいころ両親と訪れたホルガ村で洗脳を受けて
ホルガの住民になったのではないか。
元々、生まれた地がホルガであるならば両親はまだ高齢ではないため
アッテストゥパンで死ぬこともなくペレの両親の死には直接的な死因がない。
また、家族を失くしたダニーの気持ちがわかるというのも、
もともとホルガで育った人にとっては少し異なる解釈になるものと思われる。
ホルガの人々は18~36歳まで巡礼の旅をする夏の季節でもあるので、
両親が目の前で死んだということはホルガ村の住民として死んだというよりも
生贄の儀式で死んだととらえるのが自然だ。
タイトルの意味
この日に誕生日を迎えたダニーは、おそらく20代半ば。
18歳〜36歳(夏)の中間点であり、まさに“ミッドサマー”なのである。
感想
印象としてはかなり”ありがち“で”わかりやすい“と思ったが、
もしかしたら日本の怖い話要素が詰まっていて、馴染みがあったのかもしれない。
「小さい村の昔からのしきたりに振り回される来訪者」
「人を生贄に捧げる」
「食事に自分の一部を混ぜるのが呪ったり、ジンクスだったり」
っていう設定は、昔の映画から最近のアニメまでのど定番な気がする
(例えば、ひぐらしのなく頃にとか。)
ちなみに、作中に出てきた”ユミルの民“や生贄が”9人“っていうところは
めちゃめちゃ進撃の巨人を思い出した。
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