『哀愁しんでれら』実はどこの家庭でもあり得る話

映画じかん

児童相談所職員が主人公と言うことで、

気になっていた映画『哀愁しんでれら』を鑑賞してきました。

ネタバレ感想/考察/疑問点を整理していきます。

あらすじ

祖母の家には奇妙な「3つの約束」があった。 第一の約束 楽しい時間を過ごすこと 人里離れた祖母の家へ 休暇を利用して祖父母の待つペンシルバニア州メイソンビルへと出発した姉弟。 都会の喧騒から離れて、田舎での楽しい1週間を過ごす予定だった―その時までは。 第二の約束 好きなものは遠慮なく食べること 奇妙な「3つの約束」とは? 優しい祖父と、料理上手な祖母に温かく迎え入れられ、母親の実家へと到着した2人。 しかし出会えた喜びも束の間、就寝時、完璧な時間を過ごすためと、 奇妙な「3つの約束」が伝えられる。 第三の約束 夜9時半以降は部屋から絶対に出ないこと この家は、何かがおかしい 夜9時半を過ぎ、異様な気配で目が覚める2人。部屋の外から聞こえるただ事ではない 物音に恐怖を覚えた彼らは、絶対に開けてはいけないと言われた部屋のドアを開けてしまう。 そこで2人が目にしたものとは――? 挙動がおかしい祖母/呼びかけに無反応な祖父/カギがかけられた納屋/ 尾行してくる男/消えた隣人/「ここには“暗闇さん”がいるの」/夜中に響く騒音/ 床下で襲ってくる女、――なぜ?

行政が機能しなかった最悪の世界線

ポスターとあらすじをちゃんと見ずに劇場に行った私、ある意味大正解。

どうして最後の結末をポスターで盛大にネタバレしているのか…?

見終わったあとにじっくり見返して驚いた。

この作品は、児相とSCが完全に機能しなかった最悪の展開が描かれているのだと思う。

主人公の小春が児童福祉司じゃなくて児童心理司の経験があれば、

また違ったストーリーになったかもしれない。

ラストはちょっとしすぎているけど、それまでの展開は十分現実でもあり得そうな印象。

とにかく、虐待親やモンスターペアレント当事者になると周りの言葉は一切入らない

もし援助者として介入するならば、親の機嫌をとりつつ、

いかにして自力で気が付かせるかが大事な所。

高学歴で知的だけど、情緒的には未成熟な親は特にそう。

自分の実力で社会から評価を得ているから、

どんなことでも自分が一番正しいと思っていて、

自己中心的であることに自覚がないから非常に厄介。

この大悟はまさしくこのタイプ。

大悟の抱える問題をヒカリが表現

子どもの問題行動の多くは親の抱える問題の鏡になってるもの。

全くこれはその通りで、大悟は幼少期から抱えてた母子関係の葛藤を今の親子関係に持ち込んでいる。

ヒカリは2歳で母親が事故死、疎遠な祖母に、開業医で多忙な父親なので、

これまで生きてきた小2までの間に、養育者との情緒的な交流の体験が乏しかったことが推測できる。

だから相手の気持ちがわからないし、愛情に飢えてるのに、

年齢に即した甘え方も、周りに受け入れてもらえる甘え方も知らないから、

注目してもらえたことを繰り返し行ってしまう

これを、専門用語では、注意獲得行動と言う。

事故死したヒカリの実母は、

この大悟から逃げていた点だけみるとある意味健康的な反応だったのかもしれない。

そもそもこの実母は本当に事故死なのか…?

追い詰められた大悟の行動を振り返ると、事故に見せかけて殺された、

もしくは「母親失格」と自殺に追い込まれた路線も捨てきれない。

ヒカリの本当の気持ち

クルミちゃん殺しを疑われたヒカリが漏らした

「パパもママも大好きなだけなのに」

という台詞こそ、この子の本当の気持ち

小春のお弁当を食べなかったり、筆箱をトイレに捨てたり、

作中では“赤ちゃん返り”と言われていたが、これは“試し行動”である

里子等によく見られる行動で、本当に信じられる人なのかを試しているのだが、

情緒的に育っていないものの知的には高いヒカリやる試し行動は、

急に母親になった小春には耐えられないレベルになってしまっていた。

そして、ヒカリと小春だけの内緒の話を、小春が大悟に話してしまっていたことで、さらに試し行動はエスカレートしていった。

通常なら、この時点で学校相談機関友達親戚に母親が相談するだろう。

しかし、裕福な家庭であったことや急に母親なったこと等、

様々な要因が重なりあって、孤独な小春は1人で抱え込むことになってしまった。

また、ヒカリは学校でもお弁当がいつもないと泣く等の気になることが多かったはずであるため、

学校としても何らかの調査や支援を行うのが通常である。

裕福さ故か、触らぬ神に祟りなし状態の力のない教師陣だったのか、わからないが、

とにかくこの作品内では支援が入る様子がなかったので、

このまま最悪のルートを辿ってしまったのだろう。

自分を捨てて"良い母親”に

小春がヒカリにあげた筆箱を海に捨てたところが一つの契機。

小春は見なかったことにする選択をした。

「良い母親」であるために、自分の感情を殺して生きることを選んだのだ。

小春は自分の感情を殺し、1人で耐え続けた結果、

プツンと糸が切れてある時ヒカリを叩いてしまった

その後、紆余曲折を経て間一髪大悟に助けられた小春へ、指輪をはめる大悟。

指輪はヒカリが隠していたのだろうと考えられ、

小春を連れ戻すために大悟に本当のことを話したのだと推測できる。

この作品は踏切で人生がガラリを変わるようだ。

その後、何かが取り憑いたようにモンスターペアレントとなった小春

小春の父が葬儀屋で勤め始めた頃に言っていた、

ずっとその場にいると馴染むという話通りになっている。

くるみちゃんを殺したのは誰?

結局ヒカリはくるみちゃんを殺してはいなかったのだろう

最後のあの場にいた女の子からの手紙からも無実がわかる。

邪魔だからいなくなって良かったと思ってはいそうだが、

ヒカリのやり口は自分を被害者にして注目を集めるようなものだからだ。

ヒカリを犯人呼ばわりした男の子は、

これまで何度も濡れ衣を着せられて嫌な目に遭っていたことから、

ヒカリに仕返しをしたかったのと、

くるみちゃんが好きだったからその行き場のない怒りをぶつけただったのではないか。

機能不全家族

大悟には

『母親に何もしてもらえなかった』

『助けてもらえなかった』

という経験が強く染み付いている。

「子どもの一生は母親の教育で決まる」と言う言葉こそ、大悟の本質であると思う。

つまり、大悟は母親の育て方のせいで自分はこんなに不幸なのだと言いたいようだ。

また、大悟の中には父親像が全くない。

父親が叱り、母親が寄り添うのが本来の理想的な親子像。

一方でこの家族は両親ともにヒカリに寄り添っており、客観視できる者がいなくなっている。

この家庭の中では、ヒカリがルール

だから、ヒカリにとって害のあるものを排除するという選択をすることになってしまった。

大悟はペットの剥製を作成して愛でていたあたり、生と死の境界の曖昧さがあった。

ラストはそこを一歩超えてしまったようだ。

反面教師、色、靴

この作品で印象的に表現されているのは『反面教師』『色』『靴』であると思う。

小春が“あんな風にはなりたくない”と思ったものとして

「モンスターペアレントのニュース」

「虐待親」

「子どもを見捨てて出て行く母親」

「踏切で死が迫る人」

がある。

それらは反面教師であったはずなのに、いつしか自分自身であったことに気がつくことを繰り返し、物語が進んでいく。

また、大悟・小春・ヒカリが家族になったはじめの頃に着ていた服は、

青・黄・赤という三原色である。

これは混ざり合わないそれぞれの個を象徴するようであったが、

ヒカリが殺人者呼ばわりされた頃には3人とも白い服を着てあの小部屋で過ごしているシーンがある。

それは、3人が混ざり合って白になったこと、小春が完全に取り込まれてしまったことを表している。

そして、しんでれらストーリーである本作のキーワードは間違いなく『靴』である。

ヒカリがくるみちゃんのお葬式に、何度もアップに映っていたあの赤い靴を履いていくことに拘っていた理由がありそう。(でもわからない。誰か教えて…!)

スニーカーから銀のパンプスへ、

12時が迫る時計…

魔法が解けてしまったシンデレラは、

また再び自分で魔法をかけ、

幸せな家族を取り戻し、

THE END。

映画全体を通して

映画としては、怒涛のテンポで進んでいくので飽きずに楽しむことができたが、

ラストの展開はヒントが多すぎて手に取るようにわかってしまったのが、

ミステリーという観点でみれば残念。

それでも、クラシカルな雰囲気はおしゃれであるし、

自信を持って薦められる1作なので、観たことないはぜひ鑑賞してみると良いのではないか。

(そもそもここまで読めた人は鑑賞済みであると思うが笑)

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